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拝啓 中島みゆき様

こんにちは、4年の西山です。本日は夏休み前最後の平日練習となりました。期末試験を挟んだこともあり熱中症等心配でしたが、無事に稽古を終えました。一人として欠くことなく春夏学期を終えることができ嬉しく感じると同時に、夏本番、三商に向け気持ちを一層高めていこうと考えております。


いきなりですが、本日はこの場をお借りして中島みゆきについて書いてみようと思います。ちなみに、こんな時ってお名前呼び捨てで良いのでしょうか?一橋大学柔道部HPの公共性の高さに鑑みると「さん」付けでも良い気がしますが、馴れ馴れしく敬称を付けるのもかえって恐れ多いので、あえて呼び捨てで進めます。いつの日かご本人からコメントをいただけた暁には、「さん」付けに変えます。

中島みゆき(の曲)との出会いは、2005年夏、瀬戸大橋でした。転勤族の親に連れられ瀬戸内海を渡っている際、中島みゆきのベストアルバム「大吟醸」7曲目、「誕生」がかかっていました。幼稚園年長の西山少年でも、やっぱり友達とのお別れは寂しくおセンチになっていたのですね。1番Bメロ頭の「めぐり来る季節を数えながら めぐり逢う命を数えながら」、2番Bメロ頭の「わかれゆく季節を数えながら わかれゆく命を数えながら」というフレーズに心を動かされたことを覚えています。行動半径が極めて小さく、携帯電話なんて持っていなかった当時の自分には、引越しが今生の別れのように感じていたのでしょう。でも、「誕生」を聴いて、人とわかれて寂しい思いを抱くことは誰にでもたくさんあって、その中で頑張っていかなきゃいけないのだろうな、といった心持になったように記憶しています。

そして時は流れて、親しかった友人を亡くした時、実家のうさぎを亡くした時もこの曲を聴かずにはいられませんでした。徒に前向きな言葉で励ますわけではない。そんなこともあるもんだよねと言いながら、酒をひたすらちびちびやりながら話を聞いてくれる、そんな優しさが中島みゆきの曲にはある気がします。また、様々な解釈ができる曲が多い点も広く愛されている理由ではないでしょうか。例えば話を戻して「誕生」を例にとっても、必ずしも死別を歌った曲ではない、という解釈もできる気がします。歌いだしは心から大切だった恋人と別れたようにも取れますし、幼稚園時代の私のように進路が離れてしまった友人と離れたものと解釈できなくもありません。実際、サビで「命」という表現をしていますが、どこにも亡くなったと断定できる歌詞はないのです。「Remember 一緒に生きてたこと そして覚えていること」という最後の部分も、ひょっとしたら相手は遠く離れた場所で生きている可能性もありますよね。そうなってくると、命との出逢いや別れってなんだ?という疑問にまでたどり着きます。ほとんど話したこともなく今何をやっているか分からない地元の友達や、街中で一言だけ交わした見知らぬ人の中には、知らないところで亡くなっている人もきっといるはずです。でもそんな別れを一般には死別と呼ばないし、亡くなったことを知らなければ悲しみようもないですよね。日頃の本当にありふれた場面に、命との出逢いと別れは転がっている、そんな気がしてきます。マツコ・デラックスも、「みゆきを聴く時はね、泣くってより考えるのよ」って話していました。このまま考え続けるとブログが終らなくなってしまいますね。


今日は中島みゆきについて、取り上げたのは1曲だけで終わってしまいました。引退までのカウントダウンが始まりかけていますが、ブログはあと何回回ってくるでしょうか。この話題ならいくらでも書けてしまいますので、次回は「[続]拝啓 中島みゆき様」と表して書こうと思います。猛暑が襲来しておりますが、皆様体調に気を付けてお過ごしください。今日はこのあたりで失礼いたします。


4年 西山

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