心の欲する所に従って、矩を踰えて行くのが動物なんじゃないですか?
こんにちは、4年の斉藤です。
本日は第一次三商合宿の二日目、私が基立、大石が亀立を行いました。二日目にして既に体が重いですが、これこそ三商期という感じがします。四連覇に向けて最後の二ヶ月を怪我せず有意義に過ごしたいものです。
人間って不満を見つける天才だな、と最近考えるようになりました。僕の事で言えば、「大学生は暇」と聞いていたのに思った程だらけた生活をしていないような気がしたり、「茶道部が終われば」「就活が終われば」「卒論が終われば」と何かしら自分はやることがあって大変なのだ、楽しくないのだと自らに思い込ませて生きているような気がします。どれも将来振り替えればそこまで時間も難度も求められていないタスクだと思うのですが、小学生の時からその時やるべき事を過大評価して文句を垂れるのは変わらないので我ながら呆れたものです。
ただ、人の愚痴をたまに聞いていると、はっきり言ってどうでもいい、些末な事で大袈裟に捉えているなと(自分の事を棚に上げて)感じる事があります。ある意味で僕らを苦しめている「人それぞれ」の価値観に則れば、その人にとっては大事なことなのだから大事に反応しよう、と理性で考えるようにしていますが、心のハリセンは出番をウズウズと待っているようなことが多々あります。こんなことがある度に同じ穴の狢である自分のことが嫌いになっていくのですが、皆さんは同じような事考えた経験はないでしょうか。もしそんな人が多いのなら、人をもっと楽に好きになれるので皆も良い意味で自分勝手であってほしいこの頃です。こんなのが最後の通常ブログで良いのか?
特に上げるべき写真もないですが、この前数年振りに行った動物園で撮った、来園者から貰える餌を横取りされ過ぎてふて寝?してるフェネックの写真でも添えておきます。こいつらも大変なのかもしれない。






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