一橋柔道部80年史を読んで
こんにちは。4年の大石です。本日の練習には中田師範、入江さん、東京理科大学の方々にお越しいただきました。稽古には活気があり、東京学生個人戦が近いこともあって、師範から実践的な組み際の技についてご講習いただきました。また、稽古後には師範のご出身である高知県のゆずジュースを振る舞っていただきました。ありがとうございました。
さて、今回は80年史のお話をしようと思います。以前、部室の本棚にある80年史を見つけ、気になって手に取ってみたところ、そこには柔道部にまつわる様々なエピソードが記されていました。内容のほとんどは昭和初期〜中期の出来事なので時効だとは思いますが、一応ブログ係には確認してもらいました。また、半年ほど前に読んだ内容を記憶を頼りに書いているため、細部に誤りがあるかもしれません。もし事実と異なる点があれば私までご連絡いただければ幸いです。それでは見ていきましょう。
其の一 小平道場焼失事件
以前、柔道部は有備館だけでなく、小平にも(剣道部と共同で)道場を構えていました。しかしある日、しかも三商戦の前日に、その道場が火事で焼失してしまいました。この火災は昭和33年に起きたものです。当時の主将は荻窪あたりに下宿しており、焼失の知らせを受けた後輩が車で主将の家へ向かいました。「小平の道場が焼失してしまいました」と伝えると、主将が真っ先に思い浮かべたのは部室の机の上にあったタバコの灰皿だったそうです。タバコの不始末が原因ではないかと案じたようですが、後の調査では出火原因は特定されず、目撃情報としてはアベックが道場付近を歩いていたということだけが残っているそうです。ちなみに、知らせに来た後輩は車のバック運転ができず、手で押して自動車を下がらせてから帰っていったというオチもあります。翌日行われた三商戦では見事優勝を果たし、神戸大学の先生から「一橋は道場が焼けても優勝するとはすごいね」といった言葉をいただいたとのことです。
其の二 多摩湖線事件
今でこそ1〜4年生全員の授業が国立キャンパスで行われていますが、以前は2年生まで小平キャンパスで授業を受けていたそうです。当時、新歓行事の一環として、各団体が出し物を披露する交流会のようなイベントが開催されていたそうです。出し物を終えた柔道部員はその場の懇親会で飲酒し、吉祥寺で二次会を行うために多摩湖線に乗車しました。しかし酔った一部の部員が電車の座席を外して窓の外へ投げ捨てたり、丸太で天井を突き破ったりして、多摩湖線を運行休止に追い込んでしまったとのことです。この事件は昭和10年に起きたもので、今では到底許されない話ですが、交通往来妨害罪に抵触する行為として、当時大きな問題になったそうです。
其の三 昭和44年 学生運動鎮圧事件
80年史の中には、こんな一文から始まるエピソードもありました。「長い歴史を誇る我が柔道部においても、角材や鉄パイプを手に試合(?)をしたのは、恐らく我々だけではないだろうか。」学生運動がまだ盛んだった昭和44年のある日、一部の過激派が夜中に守衛室を襲撃し、本館を占拠するという大事件が起きたそうです。机や椅子でバリケードを築き、立てこもる事態にまで発展したとのことです。これに対し、柔道部をはじめとする運動部(柔道部、剣道部、空手部)の有志が実力行使に出て、バリケードを崩壊させたと記されていました。角材や鉄パイプを手にした「試合」というのは、現代の感覚からすると穏やかではない話ですが、時代背景を考えると、大学という場を守るためにやむを得ない対応だったのかもしれません。いずれにせよ、我が部の歴史の中でもかなり異色のエピソードだと言えるでしょう。






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