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自分史

こんにちは、3年の大石です。本日は東京大学本郷キャンパスに出稽古に行きました。ケースの練習を多く行っていて、とても刺激的でした。うちでも取り入れていきたいです。受け入れてくださった東京大学柔道部の方々、ありがとうございました。


さて、今回は最近就活を始めたので私の自分史を少し書いてみようと思います。もちろん堅すぎると面白くないので、出せる範囲で緩く書いてみます。


幼稚園に通っていた私は、お喋りが好きだったようで、給食の時間は友達とずっと喋っていて、夢中になりすぎて友達が食べ終わって遊びに行ってしまっても1人で喋り続けていたそうです。完全にキャラクターですね。


小学校からは面白い人に憧れて、よくふざけてました。小学校デビューです。授業中にみんなの前でちょけたりしていたので、クラスの優等生からは嫌われていたと思います。いわゆるお調子者です。普通にうるさいので廊下に机と椅子を出されたり、授業のない先生に預けられて一対一で授業を受けることが多々ありました。にも関わらず勉強は出来ていたため、あまり先生から嫌われてなかったようにも思えます。夏休みの宿題も初日に完成させるような子だったのに、今は就活のESのみならずブログすらも滞納してしまうようになってしまい、あの計画性はどこに行ったのでしょう。以前小学校の友人に自分の当時のスクールカーストを聞いたところ、カースト外のヤンキーみたいなものだと言われました。授業妨害キャラとしては妥当な立ち位置ですね。


中学1年の夏までは小学校の延長線上で過ごしました。持ち前のコミュニケーションスキルで友達は多かったです。秋からはアメリカの中学へ転入。ここが僕の人生の転換点でした。ド陰キャになりました。英語が喋れない自分は、完璧に喋ることにこだわりすぎて会話をすること自体に抵抗が生まれ、自ら積極的に喋ることが好きだった以前の性格を封印してしまいました。その結果友達は少なく、家に帰ってはネットを見る生活でした。しかしある日、体育のバスケの授業で現地の巨漢からパワープレイでボールを取り上げた日から僕の人生は好転しました。「こいつできる!」と思われ、多くのスポーツマンから認めてもらい、話しかけてもらえるようになりました。そこで会話の機会が増え、英語の急速な上達を感じ、積極的に喋ることの重要性に気づきました。


高校では水泳を幼少期に習っていたこと、球技が好きだったことから水球部へ入部。水球部では最初こそ経験者に圧倒されたものの、持ち前の運動神経や水泳経験、そして部活後にプールに残ってしたコソ練の成果で乗り切り、最終学年時には後輩から「最も尊敬している先輩です!」と言われるほどには人望を集めました。引退試合では、あと1勝で州大会に出ることができたのですが、その試合で負けてしまい、悔しい思いで水球部を引退しました。英語力は高2の時には発音がほぼ完成し、ネイティブと間違われるレベルで発話することができるようになりました。高校3年のころには昔のクソガキさはほぼ消えていて、目立った暴れ方はしていなかったと思います(多分)。高2の頃は少しヤンチャでしたが。そして高4で卒業し、日本の予備校に通いました。予備校時代は夏頃は遊び呆けていて、夏の間に早稲田の合格を抑え、冬に一橋を受験しました。秋の模試では塾内最下位だったのですが、受験結果は帰国生の中で首席合格(笑)になりました。予備校時代の夏は人生の中でトップレベルに楽しかったですね。


そして大学生では硬派ゆえにクラスの行事には全く参加せず、普通に浮いてました。切実にやり直したい。大学時代はこの部活の人は分かると思うので割愛します。


僕はこのような経歴を辿ってました。ここでは出すことのできない話が多いので抽象的になってしまった部分もありますが、以上で今回のブログを締めたいと思います。ありがとうございました。


3年 大石

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