根川慧:オリジン
- 根川慧
- 9月27日
- 読了時間: 6分
こんにちは!!3年の根川です。
本日の練習は、明日に学習院戦を控えていますが、第2次三商合宿中ということで気持ち軽めの通常稽古を行いました。個人的に最近練習している技を乱取中に積極的に出すことができ、硬直しがちな組手において新たな活路を開くことができそうでワクワクしております。ずいぶん涼しくなり柔道に打ち込むのに最適な季節になってきましたが、怪我に気を付け引き続き集中して励んで参ります。
さてさて、最近やっと就活というものを始め出しましたが、ほんまにやばいと言いながらもあんまり何もやっていないネガワでございます。しかし、就活というものは突き詰めると自己分析を徹底し如何に上手く魅せるかということになるっぽいので、今回のブログでは私の自我の萌芽期である幼少期(小学生時代)を簡易的に振り返ることにしましょう。到底就活では活かせないエピソードでしょうがなんか役に立てばいいなマインドで行きます。
初めは小学1年生から。家から歩いて3分の大阪市立西天満小学校に通うことに。都会にあるため1学年1クラス20名程、全校生徒は150人前後の小さい小学校でした。黒いランドセルを選んだ根川少年は担任の市原先生が優しかったことしか覚えていません。たしか市原先生が結婚するときに女性側の名字を選んだというお話を聞き、必ず男性側の名字に統合されるわけではないんだなと初めて学んだのを覚えています。ジェンダー平等論の目覚めですね、先進的だ、えらい。
お次は2年生。九九を母親と一緒に覚えようとしていた記憶があります。後半にサッカーを習い始めました、ボールを追っかけるだけでなにも技術的なことが身につかず下手くそだったと思います。練習場である桜ノ宮公園までの道のりを自転車で行く日々が今のチャリンコ好きを形作ったのでしょう。
そして3年生。ゲームのし過ぎで視力が落ち、眼鏡をかけ始めました。初めての眼鏡はとても恥ずかしくてみんなに見られるのが嫌だったのですが、担任の湊先生が初めてかけてきた日にみんなの前で「眼鏡似合ってるね」とほめてくれたおかげでそんな気持ちはなくなりました。今思っても感謝しかありません、教師の鏡ですよね。何気ない日常の心優しい言葉が10年後も私の胸に残っています。そして冬休みが明けた3学期、ついに中学受験塾関西最大手である浜学園に通い始めることに。3DSを買ってあげるからと母親に言われてノコノコ入塾試験を受け、特段対策の勉強はしませんでしたが受かってしまい入塾しました。貧困母子家庭、決死の先行投資。母親はかなり先見の明がありますね。私としてもここの入塾がかなり人生のターニングポイントだったなと振り返って感じます。お母さま、お陰様で今はなんとか立派めに育っています、ありがとう。中々やるやん。
4年生。実は入塾と同時にサッカーをやめており、これまですらっと顔立ちの整ったスポーツ少年陽キャ寄りだったのが一転、小太り眼鏡君に。性格は変わらず恥ずかしがり屋でしたが明るい子、人を笑わすのが好きだった気がします。そして自転車で通う先が浜学園天神橋筋6丁目校、いわゆる天六校に変わりました。登下校の往復40分弱、自転車で風を切りながら口笛を練習する日々、今では特技に口笛が入るレベルに成長しました。やったね。
さてさて5年生。たしか小学校の週1とかであるクラブ活動では科学部に入っていました(小6だったかも)。メントスコーラを実験とか言って楽しんでいましたが、将来の夢は科学者でした。かっこいいと思っていたのですが夢半ばに…。西天満小学校では隔年で秋ごろに学芸会と展覧会をやるのですが、この年は学芸会で6年生と合同で演劇をやりました。劇のタイトルは、私たちの地球を愛そうどーたらこーたら、とかで魔王が環境汚染をして~みたいな話だった気がします。今思うととんでもない、サステナブル意識が強すぎる。めっちゃ先進的な小学校だったのかもしれません、うろ覚えですが。(ちなみに残念ながら今の私はESG経営とかは嫌いです。企業にはもっと他に向き合うべき問題があるからです。)私は見事にオーディションを勝ち抜き、主役ともいえる魔王役を演じました。目立ちたがり屋さんだったのでしょうか。あと5年生ごろから少しずつコロコロコミックを卒業しジャンプ系にはまっていきました。漫画、特に週刊少年ジャンプを人生のバイブルとするネガワ君の発芽ですね。
ついに6年生、早いですね。5年生からの持ち上がり担任で始まったこの学年。その先生は内面の人間教育を重視し、教えることは至極全う正しいのですがかなり宗教染みた教育方法で、純粋なネガワ君はここで半分洗脳されながらも他人の気持ちを最大限慮る心優しい子に育つことになります、うーんプラマイぎりプラ!!また、運動会にて応援団長に立候補したものの、紅組と白組のそれぞれの団長を男女にするというしきたりから落選。ジェンダー平等の不平等さをこの齢にして痛感しました。そのため中学受験では男子校を志望することに、、、(冗談です)。しかし学年代表として運動会締めのスピーチをすることに。見事なスピーチで校長先生を唸らせ、神童と化していました。後半は受験が本格化し、楽しさもあれどかなりしんどかったのを覚えています。水曜日の夜は塾から帰ってきて母と水曜日のダウンタウンを見るのが恒例でした。エロい場面に遭遇したら実際に鼻血が出るのか、みたいな説で気まずくなったのも覚えています。そして週に一回たしか金曜日の夜、塾の帰りに地元のスーパー「ライフ」の2階にある本屋さんコーナーで母親にワンピースを2,3巻ずつ買ってもらっていました。懐かしい、、、。小学6年生にもなりながら、母親に紙を持ってもらい指で突いて破る「六式:指銃」の練習をしていました(かわいい)(指銃:シガンがわからない愚か者は今すぐワンピースのエニエスロビー編を読んでください)。塾では成績が足りず大阪一番の進学校である大阪星光学院コースには入れませんでしたが、本番で奇跡が起こり合格しました。これが人生で1番のラッキーかなと思います。本当にあの学校に入れて良かった。ちなみに受験前日は、算数の苦手な影の面積を求める問題を復習した後、クリスマスプレゼントで買ってもらったドラゴンボール全巻を読み返していました。舐めプすぎますね。この年で買ってもらったワンピースとドラゴンボールは今でも宝物です。




コメント